琉球染織工房巡りの旅(その2)

大城廣四郎工房を後にし、首里城方面へ。といっても目的地は城間びんがた工房。


紅型は琉球王朝時代に王族しか着用を許されなかった沖縄の伝統衣装。城間びんがた工房は琉球王朝時代から続く紅型三宗家の一つ。特に城間家は、明治時代の王府廃止による紅型の衰退を乗り越え、 第二次世界大戦の戦禍からも復活を果たし、初代から現在の16代目栄市さんまで一度も途絶えることなく紅型を染めて続けてき唯一の染屋さん。そんな誇りが、対応してくださった現在のご当主栄市さんの言葉の端々に感じられた。 

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上の写真は2年位前に何かの展示会で撮ったもの。栄市さんがまだ16代と表記されていない。家督を継いだのはこの直後だ。城間三代の展示会があったっけ。

工房は写真撮影は基本的に禁止だったので、工房内の写真はないけれど、職人さんの色差しの様子などを見学させていただいたり、栄市さんから工程の説明をしていただいたり、道具のお話を伺ったりと、とても楽しいひと時だった。

沖縄はどこに行っても戦禍からの復興が語られる。ここでは、拾った銃弾の中をくりぬいて作った、糊の出し口を見せていただいたときは、ちょっとびっくりした。レコードを適当な大きさに切ったもので糊を延ばしたり、物のない時代の工夫だけれど、意外にもそんなものが使い勝手がよくて、今でもつかっているのだとか。

最後に工房の入り口で記念撮影。

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この後、首里城を観光して1日目は終わったのだった。



そして、翌日は読谷村の工房真南風へ。天然の色素に拘った花織で知る人ぞ知る。奥でお顔をのぞかせているのは工場長の花城武さん。ここから先は撮影禁止。

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9年前に、伝統を引き継ぎつつ新しい花織を作ろうと開いた工房だそうだ。

化学染料は、ひとつの色の集まりのような均一な色に染まるけれど、草木染の場合は、黄色ひとつをとってもその中に明るい色の分子もあれば暗い色の分子もあって、色自体に奥行きがあるのだとか。それを掛け合わせることによってより深く、複雑な色が生まれる、それが天然の草木染に拘る理由だと。

1階で糸を染め、2階で機を織る。優しいが、しかし複雑な色の花織が生まれる。花城さん曰く。色糸は少なめに染めるのだと。そうすると、織子さんが想像力をかきたてられ、工夫をして、思いもしないいいものが生まれてくることがあるのだそうだ。

さて、この工房の隣には「ギャラリー真南風」というのがある。

沖縄中の染織が集められる場所だという。個人的に見学することはできないらしいが、呉服屋さんの販売会のようなことはやるらしい。最近、お手入れでよく利用する「染の近江」さんもここで展示会をやったことがあると、調布店の店長さんがおっしゃっていた。
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裏に回ると東シナ海が広がる。

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そんなわけで、ツアーのメインイベントの販売会はここで行われたのだった。

目に留まったのは、城間栄市さんの藍型の着尺と工房真南風の花織の帯。着尺は小千谷縮に藍型の小紋。紅型の着物って全然興味なかったけど、これは好き。帯は、ロートン織とティー花だけの花織で織られた何とも上品で美しいかった。

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お値段もそれはそれは素晴らしかったわ~~~~~。

技術を廃れさせないためにも、消費者に飽きられない物づくりのためにも、こういう手の込んだ、誰が買えるのかもわからない高価なものは一定量作っていく必要があるのだろう。それをベースに普通に手にできる「おしゃれ」な着物が生まれるのかもしれない。