「八島」を鑑賞
1月11日は国立能楽堂にて、氷川まりこ先生のプレレクチャー付きで「八島」を鑑賞。
能を鑑賞するには、演目の時代背景や登場人物の人間像や美意識、生死観を理解しておくことが大切だとつくづく思うので、先生のお話を伺ってから作品を観られるのはとてもありがたい。
「八島」では、前シテがいなくなって、後シテとして再登場するまでの間をアイ狂言でつなぐ。アイがしっかり登場する能はこれが初めてだ。(いや、もしかしたら以前に観た作品の中にもあったかもしれないが、それをアイとは気づかなかったか寝ていたか……、かもしれない。)
先月、能楽入門の最後の講義があり、野村万蔵さんがアイ狂言についてお話をしてくださったばかりだったので、グッドタイミング。万蔵さん、アイ狂言はほんとうに難しいし大変だとおっしゃっていたが、その通りだと思った。ほとんど一人で語り続けなければいけないのだから。セリフを覚えるだけでも大変だし、狂言とは言い回しも違うし。狂言は武士言葉「ござる」で、能は公家言葉「~候」となる。
義経の股肱の臣佐藤継信と能登守教経の侍童菊王の討ち死にを語る場面は、戦の哀れさを感じさせるけれど、修羅道に落ちた義経は結局、夜が明けるとまた、修羅の戦いの場に戻っていのだから、つまり、義経の亡霊は成仏したいとか、この世に恨みがあるとかでなく、自分が勇ましい武者だったことを誰かに褒めてほしいのかもしれないと思ったのだった。
さて、この日の装いはこちら↓